2020.1.28
「承認欲求」と「病」の関係
昨今、「承認欲求」という言葉が一般的になってきました。
現在、facebookやツイッターやYouTubeが爆発的に世界に広がったのは要因として、「承認欲求を満たしたい」という潜在的な強いニーズがあったからとも言われています。
今回は「承認欲求」をテーマに、「心」と「病」の関連性を考察をしてみたいと思います。
少々踏み込んだ内容ですが、現代ならではのテーマとして、日々の暮らしや、病気の予防の参考となれば幸いです。
承認欲求とは
承認欲求とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求です。
原始から集団生活をすることで生き延びてきた人類にとって、他者からの評価でもある承認への欲求は、生存本能に非常に近い要素と言えます。
承認欲求は確かに努力へのモチベーションになりますが、逆にそれが強くなりすぎると、果てしなく求めることとなり、その結果、慢性的な強い精神的疲弊が生じ始めます。また幼いころに愛情不足で育つと、承認欲求が強くなる傾向があるといわれています。
承認欲求の表れ方は文化や風土にも左右されると考えられており、日本人は「周囲から認められなければならない」「期待を裏切れない」という切迫した感覚に陥りやすく、それが時にパワハラやいじめ、過労死、企業不祥事などの社会問題を引き起こす場合があります。
従来、心理学の視点からは、人間の最も高い欲求は、「自己実現欲求」であると考えられてきましたが、社会科学の視点からみると、日本人においては「承認欲求」がそれ以上の強い優位性を持つということがわかってきました。
そして 昨今、従来とは異なった「新型うつ」と呼ばれるものが増加傾向にあり、その大きな原因が「承認欲求を追い求める」ことであると言われています。
精神神経免疫学(心と疾病の関連性)
脳細胞(精神)と免疫細胞(免疫力)は元来、同一のシステムに属していたものが進化の途上で分化したという説が現在有力です。
精神状態により、脳の伝達物質の変化が起こり、免疫の活性を強めたり弱めたりすることもわかってきました。
これは「精神神経免疫学」とよばれています。
例えば、「うつ病の患者さんが癌の発生率が高い」という報告があり、これを精神神経免疫学的観点から裏付ける研究もあります。
うつ病患者さんでは、免疫の要であるリンパ球やナチュラルキラー細胞の活性の低下が証明され、これは脳が分泌する免疫抑制物質のためではないかと考えられています。
また、気管支ぜんそくやアトピー性皮膚炎など、さまざまな心身症に関して精神神経免疫学的な研究が現在進行中です。
以上のことからまとめると以下のプロセスが考えられます。
①「満たされない承認欲求」
⇒②「うつ病などの精神疾患」
⇒③「癌や難病やアレルギーなどの病」
承認欲求とは人間なら誰しもが持っている根源的欲求ですが、長期的にこれに極端に囚われすぎると重大な病気の原因になりかねないということがわかります。
これらを拭い去ることは難しいですが、精神的に落ち込んだ時や、幸福感を感じにくくなっているときは、こういった仕組みを理解していると危機を回避しやすいかもしれません。
以下は承認欲求の種類や程度の概要です。
(Wikipediaより抜粋)
承認欲求の種類と程度
<他者承認と自己承認>
承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。
・他者承認
他人から認められたいという欲求。
・自己承認
自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断すること。
劣等感や情緒不安定が強い場合は、自己承認が困難であったり、あるいはその反対に、自己評価が過大な場合がある。
また、思い込みや被害妄想が極端に強くなると、幻想の他者を造り出してしまうケースがある。
自分が他者承認の問題であると思っていても、実際には自己承認の問題であるという錯誤がしばしば発生する。その場合、どれだけ他者承認を得ても、自己承認感は得られず、精神的疲弊を生じる場合が少なくない。
<上位承認・対等承認・下位承認>
承認欲求は、『どのように認められたいのか』の違いによって、おおむね3つのタイプに大別される。
・上位承認
自分が他人よりも優位な関係で認められたいという欲求。
こうした欲求を抱える人間は、自己愛の傾向が強かったり、他者に対して猜疑心(疑念)や被害妄想を抱えているケースが多い。
他人への不信感から、それを支配する存在として振る舞いたい、あるいは自己を過大に評価し、自分が他人より優れているのは当然である、と考えなければ満たされない状態であるとされる。
・対等承認
他人と自分の関係が平等であることを望む欲求。
これは、劣等感に起因する「人並みに認められたい」と感じる欲求であるとされる。
・下位承認
自分が他人から蔑まれたいとする欲求。
社会的・道義的な責任を背負いたくない、他人に依存したい、保護されたい、という欲求であるとされる。