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2020.1.20

健康観の考察 ①

昨今、近代西洋医学に対して、問題提起や否定的な発信をする医療従事者が増え、それに伴い近代西洋医学に一部不信感を覚える消費者(患者)も多くなりました。
しかしながら、歴史的背景を見てみると、やはり西洋医学が残した功績は大きく、伝染病や疫病に関しては現時点で大半のものに有効な処置が確立しています。また、救急の外科治療に関しては、劇的な技術の進歩と、麻酔薬の登場が多くを救っています。過去にはとんでもなく危険な医療措置が平然と行われていた時代もあり、失敗や勘違いにより失われた多く命の上に現代の医療が確立していることがわかります。
またその半面、いままで存在しなかった慢性疾患や、原因不明の難病が急増していることも確かで、近代西洋医学はそこに対して打つ手がないというのが現状です。やはり「温故知新」という言葉にあるように、古い時代の健康観や伝統医療が、現代医療と融合することで、絶妙にバランスの取れた新たな形の医療と健康観が認知されていく必要があるのではないでしょうか。
以下は『立命館産業社会論集』からの抜粋です。

自然・神・人間と健康

(1)エジプト・メソポタミア

エジプトには,イモテープという偉大な医師がおり、多くの人々の病苦を救った。
衛生面では完備した法律をもち、1か月1回は吐剤を用いて胃内を浄め、浣腸を行って腸を清浄にした。
沐浴,飲料水の煮沸を定めた。
これらは現代にも通じる衛生法である。
メソポタミアでは、人体を小宇宙と見、病気によって魔神を追いだす加持祈祷が行われた。
つまり,症状によって病気の鑑別ができていたことを示している。
このように,古代エジプト・メソポタミアでは、人間の健康は自然や神により頼むものとして考えられていた。


(2)ギリシャ・ローマ時代

健康との関連においてギリシャ時代最大の人物はヒポクラテス(紀元前475年~404年) である。
ヒポクラテスは、古代諸民族の中でいち早く宗教や迷信から脱却して科学的な健康観をもち、健康も病気も、環境と生活様式により影響を受けると説いた。
すなわち、自然や環境を科学的にとらえて生活様式を整えることによって人間の健康回復や保持が可能であると考えていた。
その集大成として紀元前3世紀にヒポクラテス全集を編集し、今日においても医の本質を説いたものとされている。
ローマ時代において最大の人物はガレノス(西暦130年生)である。
彼はヒポクラテスの四液説を根底として、さらに大気中に生命の根源となる精気すなわちプネウマ(Pneuma)の理論を唱えた。
プネウマは生命力という概念をもっていた。
ここでいう生命力は単なる自然の力ではなく、むしろ自然を越えた人間の本来持っている力、生きようとする力をさしていると考えられる。
たとえば治療の限界にある人間が、可能な限り自らの生を活かそうとする力のような概念を意味していると考えられ、現在にも適用できる概念であるといえる。


(3)ビザンチン・アラビア

この時代の健康観は古代の健康観とほとんど変わらず、天然痘、ペスト、赤痢、コレラなどの疫病が流行したが、呪術や宗教に頼らざるを得なかった。
とくにペストは最も重大な疫病であり、ローマ帝国はペストによって滅亡したともいわれている。


(4)インド・中国

古代インドは,毒物学,外科学にすぐれていたが、後継者に恵まれずすたれていった。
中国では、病気は人間の力では克服できないものとして恐れられていた。
瀉血や鍼灸が行われ、とくに鍼灸は中国独自のものとして発展し現代に引き継がれている。


(5)日本

古代日本の人々は、健康回復のためには、まじないや巫術に頼るしかなかった。
つまり、健康を呪術や宗教との関連においてとらえていたといえる。
その後、大陸との交通ができるようになると仏教が伝えられ、健康の回復を仏に祈るようになった。
聖徳太子が建てた悲田院もそのひとつである。
中世になると、中国の影響を受け症状から人間の健康をとらえる中国の健康観が主流となった。
以上のことから、古代・中世における健康観は、自然・神・人間との関係においてとらえられていた。
「健康」は古代から人類の願いであり、その回復のためには医神や迷信に頼っていた。
しかし、単なる迷信や神だのみではなく、ヒポクラテスやガレノスは気の概念や生命力の概念から健康を回復させようとしていた。
この「健康」概念は、薬剤依存の強い現代に比べると人間のもつ生命力や自然治癒力を信頼していたことでもあり、「健康」を考えるうえで古代に立ち戻って学ぶことの意義が示唆されているとも思われる。

16世紀から20世紀前半までの健康観

―自然科学優位の健康観―
この時期は,自然科学の進展に伴い医学が飛躍的に発展し、病気の回復に大きく貢献した時代である。
たとえば,物理学の応用によって発明された顕微鏡は、それまで人類の天敵であったペスト菌、コレラ菌などの伝染病の病原菌の発見を可能にし、化学の発達によって開発された薬剤は、種痘や狂犬病ワクチンの精製とあわせて、人間の健康を脅かしてきた疫病に打ち勝つことができるようになった。
また体温計の発明や、打診法、聴診法の発明によって人々の健康状態を観察する技術が向上するとともに、消毒法、化学療法など健康を保持回復増進する技術が飛躍的に発達した。
一方、精神と呼ばれる超物質的なものも注目されはじめ、刺激と興奮の原理を人体に応用した精神科学が自然科学の立場で論じられた。
このことから、この時期の健康観は人間の本性よりも自然科学が優位にとらえられていた時代であったといえる。
日本では、青木昆陽、杉田玄白、華岡青州、高野長英らが健康との関連において重要な人物であった。
この時期は、当初ヨーロッパの自然科学が流入し、医学技術も発展したが、言語の壁や鎖国制度により日本ではさほど発展しなかった。
それに代わり中国の漢方が主流となり、人々の健康を保持増進させるために日本古来の養生訓が発生し、現在でも実践されているものもある。
以上のことから,科学や技術の発達は、人間の寿命を延長させ「生命の量」を高めることにつながった。
しかし、この頃の健康観は自然科学があまりにも優位であったため、「人」は忘れ去られ「病」のみが注目されることになった。
20世紀に入ると、この「生命の量」の延長はさらに追求されることになった。
そこには,人間の「命」を救うことが最高の目的、目標とされるようになった。
このことは、身体中心の健康観が主流であったことを示している。
しかし、総体的存在である人間の「健康」をとらえるには身体的健康だけでは不十分であり、新たな総合的「健康」概念の出現が必要であった。
新たな健康観において代表的なものが以下である。

  • 『マズローの健康観』
  • 『デュボスの健康観』
  • 『アーロン・アントノフスキーの健康生成論』

次回に続く。

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